通りすがり備忘録

いろいろな備忘録

哀愁の絵・暗黒時代回顧録

若い頃は画塾に通ってデッサンを習う日々でした。美術大学志望だったのですが、最終的には実力や金銭的な面から断念してしまいました。挫折は何度もありますがこの時の挫折が1番辛いものでした。

その頃のデッサンを今までとっておいたのですが、もういいかなと思って整理することにしました。…が、自分比で描けた!と思う絵はやはり捨てられず、供養の意味もこめてブログで回顧することにしました。

照れ臭くて恐縮ですが、温かい目で見ていただけると幸いです。


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これは名前忘れたけど、ヴィーナス像なのかな。石膏デッサンの初心者向けの石膏像というイメージです。

最初は全く描けないし、難しいけど、いろんな石膏像を描くうちに、あら不思議、このヴィーナス像が簡単に感じます。それだけ他の石膏像が難しかったということですが…。

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マルス像です。

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完全に名前忘れててジョルジュだっけ?と思ったら調べたらモリエールだった。うわー懐かしいー!

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アテナ神の石膏

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ブルータスお前もか!で有名なブルータス。

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ミケランジェロ

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ガッタメラータ像

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アポロの石膏

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ヴィーナス像。これめちゃくちゃ難しかった記憶…。

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懐かしいです。

石膏デッサンはよく、鉛筆で塗りたくって真っ黒になりがちで、先生にもよく注意されました。石膏は白いから、白く感じるように描けって(無茶言うな)

今見ても光とか空間とか、ちゃんと表現できなかったな、という思いがあります。

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静物デッサンはめちゃくちゃ苦手でした。

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特に着彩が苦手で、水彩をうまく使いこなすことができず、自分でも呆れるくらい下手でした。下手すぎて着彩の絵は少しだけ残してほとんど捨てました…。

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なんだか不穏なパプリカ

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これはデッサンコンクールの時に描いた着彩で、運良く4位入賞でした。コンクールは他校で行われたのですが、審査の先生に褒められて嬉しかった記憶がある。けど画塾に帰って先生に見せたら厳しい評価を受けた思い出…。

厳しい先生で、当時の講評のメモ、今みたらショック受けた笑

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着彩がとにかく苦手で、絵の具で立体を描くのがすごく難しかった。何回書いても、上達しないので先生の目が怖かった笑

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この頃の自分はあまりにも無知で弱く、毎日が精一杯でした。高校生の時にうつ病になって、少し良くなってから病み上がりで習っていた。

当時、貧血体質で、手と顔が血の気がなくて真っ白だったことに自分では気づいてなかった。

画塾の先生によく「(顔と手が)白すぎ!!」と言われていた。そこではじめて、私は人間の手は血が通っていて、指の先端は赤いのか…と認識した。

検査しにいったら、ヘモグロビン値が基準値の半分しかなく、恥ずかしかった。

身体が大きいのが嫌でちゃんとご飯を食べていなかったから、貧血だったんだと思う。

とにかくそのままの自分が許せなかったあの頃は。

暗黒時代すぎるな…。

 

着彩では、特に果物とか、野菜が難しかった。

今だったら、画材の使い方など、まだ余裕を持って、描けたかな?と色々考えます。(また描いてみようかな?)

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工業製品(金属類)も難しかった。

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これは、模写課題で描いた竹内栖鳳の斑猫の模写です。Twitterのアイコンにしたくらいお気に入りの絵だけど、竹内栖鳳が凄すぎて、ちょっと恥ずかしい。先生にももっと繊細に描かなきゃ!と指導された思い出。

懐かしいです。

自分のメンタルの状態で絵の出来が変わっていて、先生にも「その日によって全然クオリティ違うね?」って言われてた。

未だに後悔や葛藤もありますが、最終的には、少しでも絵の勉強ができて良かったなと思っています。

 

いろんなケースがあると思いますが、こういった受験は、家族の関係も多大に影響するなと思う時があります。

私の親は受験に無関心であまり協力的ではなかった。私がコンクールで賞をとろうが結果を出そうが「絵の道に進むなんて無理」って、全く信じていなかった。デッサン学ばせてもらったのは感謝しているけど孤独だった。

よく、塾生の親御さんが塾にお菓子を差し入れしにきたり応援しているのをみて羨ましく思っていた。

さらに当時の私は、絵を描かない自分は価値がないと思っていたので、今思えば心身ともに修羅場だったな。

でもこれって一種の若さだと思った。だから経験できて良かったと思う。

自分に大事な人ができたら、何が打ち込んでることがあったら信じて応援したいと思う。

 

当時の自分の熱意に気づくことができた(愚かさも…)。今の自分には、この熱意があるだろうか…。

この記憶はいつか忘れてしまうんですかね~。

もしかしたら羞恥心が発動してこの記事はのちのち消すかもしれません。(読んでくださりありがとうございました)